手始めに、最近読んだ漫画の感想なんかを書いてみたり。

 シンシア・ザ・ミッション(1) 高遠るい
 
 面白かったです。最近読んだ中ではダントツにお気に入りです。愛してます。ラブです。トゥルーです。ハグしてムーチョです。馬鹿です。
 内容はというと、最近のおたく文化ではすっかりお話のフォーマットとして定着した感のある、『戦闘のプロな美少女』モノ。香港マフィアの専属暗殺者とか、多重人格殺人代行者とか、最強の喧嘩番長とか、そのセコンドで親友な眼帯さんとか、十四歳で起訴不能殺人を行った正義の使者な邪眼使いとか、変態的な実力者がガンガン出てきます。で、全員「女の子」。
 よくある話っちゃよくある話ですが、他と毛色が違うのはその徹底ぶり。
 この漫画は、「ガチ」です。
 喩えるなら、『グラップラー刃牙』の登場人物を全員美少女にした感じ。作品全編から、やり過ぎ感がひしひしと伝わってきます。少年漫画的な熱さ上手さと、読者をニヤリとさせる「わかっている」マニアックな表現描写に、若干の萌えを混入して高次元で融合させることに成功した稀有な事例。
 この作者は異才です。帯に偽り無し。なるほどの異端児ぶり。美少女アンソロジー界では正しく鬼子です。

 萌え表現の一環として、設定だけで「武術の達人」してるキャラは他作品にもわりといます。無根拠に怪力で、無根拠に強く、無根拠に畏怖されたりする、設定だけの薄い達人。そういうのとは一味違い、この作品の登場人物は、殴り合うためのちゃんとした血と肉を与えられています。取っ組み合えば鼻血を吹くし、戦闘中に白目を剥くし、脱臼もすればよだれも垂らす。後、各人の戦闘に対する動機や、そのスタンスやスタイルの書き分けも、明確でグッドです。

 そもそも、うら若く見目麗しい女の子が実は武術の達人で戦闘のプロ、という設定自体、悪ノリ以外の何物でもありません。しかしその悪ノリも、徹底すれば一つの芸風となる、ということの代名詞がこの作品でありしとね=高遠るいという漫画家なのだなあ、なんて。

 悪ノリついでに言うなら、作中に登場する格闘理論やハッタリの利いた薀蓄も、ノリノリに悪ノリで最高にイカしてます。既存作品からの引用に思える部分も多々あるのですが、完璧に消化した上で自分の表現に取り入れているので、厭味はまったくありません。知ってる人に、特定の場面でニヤリとさせる演出がニクいです。第四話の「確保ぉぉっ!」のシーンなんかはその最たるもので、自分なんかは頬のニヤニヤが止まりませんでした。

 だらだらと書いてしまいましたが、ええ、そう、つまりそれだけ好きってことですよ。だって面白いんだもの。まあ、万人受けする作品では無いとは思いますが。どうぞ一度読んでみてください。 自分の駄文拙筆が、誰かの世界を広げる一助になるのなら、これ幸いってなもんです。

 ではでは。
「ネット空間の中では、自分が何に目を向けたかで自身を表現する」と言ったのは新現実vol3でのササキバラ・ゴウ氏。雑誌の発売日から逆算するに、その文を初めて読んでからそろそろ一年が経つので、記憶力のお粗末な自分の脳味噌では細部のディティールを思い出すことは出来ないけれど、当時「にゃるほど、つまり思想もファッションと同じなのですな」なんて、感心しきりと相槌を打ったことは記憶している。
 情報供給過多の時代、その中から何を選び目を向けるのか。そんな視線のさばき方が自己表現の一環となるというのは、なかなかに眼から鱗な認識でした。

 で、プログをはじめるに至ってそんなことを思い出す自分。
 やがて来る未来、街にはウェアラブルコンプが氾濫し、人ごみは自分広告の集合体となることでしょう。その前に、視線のさばき方による自己表現を練習するのも悪くないのでは、なんて。

 そんな仰々しいことを思いついたのは今さっきですが(笑)。
 徒然なるまま気の向くまま。
 基本的に自分は適当な人間です。そんな輩の、手前勝手な日記もどきですが、良かったらお付き合い下さい。
 寛容はアナタを豊かにするハズ(……なんて、言ってみる)。